Evidence Based Cooking – 低温調理のすすめ(温度・微生物編)

前回は低温調理には微生物学的な知識が必要だと言いました。
実際には、生物・化学・物理学の知識もちょこっと必要となります。

さて、今回の記事では、それらについて触れながら望む温度の決め方と、食中毒の原因微生物について考えていこうと思います。

温度の決め方

調理の温度を決めるには、まずお肉の構造を知る必要があります。 お肉がどの温度でどういう変化をするかを見ていきましょう。

「お肉」の構造

そもそもお肉というのは筋肉ですね。
筋トレしている人がプロテインを愛飲していることからわかるように、筋肉はタンパク質でできています。
その筋肉は筋原線維という細い繊維の組み合わせでできており、筋原線維には主にミオシンアクチンいう2種類のタンパク質が含まれています。

「お肉」の構造

ミオシンは筋原線維のタンパク質のうち約55%を占め、アクチンは約25%を占めます。
残りは、ミオシンアクチンが筋肉を収縮させる機構の補助をするタンパク質が含まれます。

このミオシンアクチンは、動物の種類や肉の部位によって量や化学的構造が異なります。これらのタンパク質は、熱によって構造が変化し、一度変化すると元には戻りません(ゆで卵や火を通した肉を想像してもらえればわかると思います)。
このことを「変性」といいます。

ミオシンとアクチンの2つのタンパク質は、変性する温度が異なります。
ミオシンは約50~60℃程度
アクチンは約67~73℃程度

一口に「お肉」といっても、含まれるタンパク質はこの微妙に異なる2つの温度で変性するんですね。
この変性の温度の違いが、お肉の食感の違いを生み出します。

最高の食感のお肉にするためには

タンパク質に熱を加えると、規則正しい構造だったものが変性により緩んでいきます。
同時に、緩んだタンパク質が他のタンパク質と接触することで結びついて硬くなる凝固というプロセスも起こります。

火を通しすぎたお肉が硬いのは、お肉の中のタンパク質が凝固するまで火を通してしまったせいであり、変性と凝固を理想的な環境でコントロールできれば、柔らかいのに肉っぽいという最高の食感を生むことができます

偉大な先人らがいろんな温度で調理された肉を食べて実験したのでしょう。
お肉は60~67℃で調理された場合に最高の食感となることがわかっています。

つまり、最高の食感のお肉にするためには、ミオシンは変性するが、アクチンは変性しない程度の温度で調理することが重要なわけです。

調理温度と火の通り方の例

とはいえ、火の通り方については、個人の好みもあるので、おおよその温度と火の通り方についてをイラストにしましたので参考にしてください。
前回の記事で触れたように、低温調理ではお肉の表面から内部まで均一に加熱されます。なので、自分の好みの焼き方に必要な温度が、そのまま最終的な目的の温度となります。

なお、低温調理では、55℃以下の温度での調理は推奨されていません。その温度で調理する場合は、殺菌が不十分であることをよく理解する必要があります。

あなたの好みの焼き加減はどれですか?

低温調理でのローストビーフやステーキを作るための温度の決め方がわかりましたね。

続いて時間について考えていきたいと思います。

時間の決め方…その前に

先程の温度の決め方より、時間の決め方はやや複雑です。

長時間加熱し続ければいいのは間違いないですが、いつかは出来上がった美味しいローストビーフやステーキを食べたいので、丸1日加熱し続けるというのは現実的ではありません。
できれば夕食に間に合わせたいものです。

しかし、短すぎる加熱時間は、中心部まで均一な温度とならず、そればかりか微生物による食中毒も問題となります。

食中毒を避けるにはどうしたら良いのか、これはちょっと面倒くさいですが微生物学の知識が必要となってきます。
ローストビーフを作る前にはどうしても、食中毒について知る必要があります。

食中毒とは

食中毒は、細菌・ウイルス・寄生虫などの原因微生物などが付着した食べ物を摂取したことにより引き起こされる胃腸炎や神経症・中毒などのことを言います。
(正確には、フグ毒や毒キノコなどの毒物も含まれるので、微生物だけが原因とは限らない)

カキ等の二枚貝によるノロウイルスや、サバの生食などによるアニサキス症、O-157などニュースで聞いてご存知の方も多いかと思います。

食中毒について詳しく知りたい方は厚生労働省のサイトを見ていただければ、とても良くまとめられています。

大抵の人にとっては、嘔吐・下痢などの胃腸症状で済むことも多いですが(それでも嫌だけど)、高齢者や乳幼児・妊産婦さんあるいは免疫不全の人などのリスクを持つ人たちにとってはさらに重篤な事態となる可能性もあります。

また、健康な人でも、加熱不十分な鶏肉や生食が原因によるカンピロバクター感染症が、まれにギラン・バレー症候群という病気を引き起こすことがあります。

ギラン・バレー症候群とは、全身の神経が炎症を起こし、手足が麻痺したり寝たきりになったり人工呼吸器が必要となることもある病気です。
私は、加熱不十分な鶏肉でギラン・バレー症候群になった患者さんを実際に見たことがあります。

不適切な低温調理はそういった食中毒、または食中毒から引き起こされる重篤な事態となるリスクがあることを自覚すべきです。
私はそういった事態にはなりたくはないので勉強しますが。

食中毒の原因微生物

さて、食中毒を起こす原因微生物を見ていきましょう。
こいつらがいなければ、もっと美味しく食べられたかもしれない憎き連中です。

食中毒を起こす原因微生物は様々なものがいますが、厚生労働省の公表している統計データを基に、肉料理に関連する原因微生物に絞って直近5年(2015~2020年)の食中毒患者数と事件数のランキングを作ってみました。

2015~2020年肉料理に関連した微生物別食中毒患者数ランキング
2015~2020年肉料理に関連した微生物別食中毒発生件数ランキング

2つのグラフを見てもらうと、カンピロバクターは患者数・事件数ともに多いことがわかります。

一方、大腸菌やウェルシュ菌といった菌は、患者数は多いですが事件数は少なくなっています。これは、1件あたりの患者数が多いことを示しています。
これらの菌は、飲食店や食堂・給食等で菌に汚染された食物が提供された結果、大規模な集団食中毒事件となることが多いです。

またウェルシュ菌は、熱に強く加熱調理後でも室温で放置していたりすると繁殖が進んでしまう菌です。飲食店等で大量に作り置きされて室温で放置されている場合(ブッフェなど)に発生しやすい食中毒となります。

さて、続いて代表的な菌について知ることとしましょう。

代表的な食中毒原因菌

カンピロバクター

カンピロバクター(パブリックドメイン画像)

カンピロバクターは、鶏や牛の体内に存在する菌です。
食肉に加工される過程で肉に付着し汚染されます。

特に鶏肉の汚染率は高く、日本で売られている鶏肉(またはその加工品)でのカンピロバクターの検出率は約60%です*1
(報告により20-100%と差があります)

カンピロバクターは空気中(酸素濃度20%)では通常死んでしまうため、表面に付着したカンピロバクターは筋肉の繊維内に潜り込んでしまいます。

さらに、大腸菌など他の食中毒の原因微生物が数万~数千万個の菌量を摂取しないと発症しないのに対して、カンピロバクターは数百個の菌量の摂取でも発症したという報告があります。

以上のことから、表面だけの加熱では不十分ですし、「新鮮だから生でも大丈夫」ということはありません。(新鮮な方がむしろ付着した菌が生き延びている可能性が高い)
内部までしっかり火を通す必要があります。

理論上は大腸菌1個だけを飲み込んでも下痢をすることはないです
(やりたくはないけど)

カンピロバクターは鶏肉のイメージが強いですが、牛肉・レバーからも検出されることのある菌です。
2012年から牛レバーの生食での提供・販売が禁止されたことに加え、と畜場の衛生対策や温度管理等で、牛肉のカンピロバクター汚染率や患者数は以前よりは多くありませんが、それでもほぼ毎年のように牛肉のカンピロバクターによる食中毒発生していることがわかります。

牛肉食中毒の主な原因菌別発生件数

上でも書きましたが、
カンピロバクター食中毒は、まれにギラン・バレー症候群という病気を引き起こすことがあります。
ギラン・バレー症候群は、全身の神経が炎症を起こし、多くは回復しますが一時的に手足が麻痺したり、時には寝たきりになったり人工呼吸器が必要となることもある病気です。

カンピロバクター食中毒
  • 潜伏期間              2~7日
  • 症状                     下痢・腹痛・発熱・嘔吐・倦怠感
  • 重症化すると       脱水症状やまれにギラン・バレー症候群
  • 至適温度              40~ 42℃

ウェルシュ菌

ウェルシュ菌(パブリックドメイン画像)

先程の表を見てみましょう。

牛肉食中毒の主な原因菌別発生件数

ウェルシュ菌は、牛肉の食中毒では最も患者数が多い原因菌です。
ウェルシュ菌の食中毒は、ウェルシュ菌が産生する毒素が原因となります。

ウェルシュ菌は自然界に広く存在する菌であるため、完全に除去することは難しいです。また、熱に強いため低温調理では(普通の調理でも)ウェルシュ菌による汚染を防ぐのは難しいとされています。

しかし、数百個の菌で発症するカンピロバクター食中毒と異なり、数百万~数百億個のウェルシュ菌が存在しないと発症しないと言われています。

また、原因となる毒素そのものは熱に弱く、加熱により不活化されます。

そのため、十分な殺菌加熱が必要なカンピロバクターの対策と異なり、ウェルシュ菌は増やさない対策をすることが必要となります。 つまり、調理後はすぐに食べてしまうか、食べられない分は冷蔵保存をすることが重要です。

ウェルシュ菌食中毒
  • 潜伏期間              6~18時間
  • 症状                     腹痛・下痢
  • 重症化すると       脱水症状、まれに壊死性腸炎
  • 至適温度              43~ 45℃

ブドウ球菌

ブドウ球菌(ウィキペディアコモンズより)

ブドウ球菌といっても、果物のブドウは関係ありません。
顕微鏡で見たときに、ブドウの房のように丸い菌が固まっているのでブドウ球菌といいます。

個人的にはブドウの房のようには見えたことはありません。
医療界隈では、メチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)が有名ですね。

私達の鼻の中や髪の毛にもいるような一般的な菌です。
指の傷などで化膿しているところにはブドウ球菌が大量に存在することがわかっています。

手に傷がある場合は、別の人が調理するか、傷が治るまで料理しないのが一番でしょう。

ブドウ球菌によって産生される毒素が食中毒の原因となりますが、ウェルシュ菌の毒素と異なり、毒素は熱で分解されにくいため、菌をつけないことや、菌の増殖を防ぐことが必要となります。 基本的な対策は、他の菌と変わらず、こまめな手洗いや手袋の着用、調理器具の消毒などです。菌そのものは熱に弱いので、十分な加熱時間をとることも重要です。

ブドウ球菌食中毒
  • 潜伏期間              30分~6時間
  • 症状                     嘔気・嘔吐・下痢
  • 重症化すると       脱水症状・血圧低下・ショックなど
  • 至適温度              30~ 37℃

腸管出血性大腸菌

O-157(パブリックドメイン)

病原性のある大腸菌は色々と細かい分類に分かれていますが、大腸菌による食中毒の中で最も多いのが「腸管出血性大腸菌」によるものです。

「腸管出血性大腸菌」といっても馴染みがないかもしれませんが、O-157といったら聞いたことのある人も多いのではないでしょうか。O-157だけでなく、O-26やO-111など色々います。
細かく分けると本当に色々。

ベロ毒素という強力な毒素を産生します。ふざけたような名前ですが強力な毒素で、激しい腹痛や激しい下痢だけでなく血便や出血性腸炎、溶血性尿毒症症候群など死ぬこともあるほど重篤化しやすいのも特徴です。

牛などの腸にいる菌で、加熱不十分な肉や生食などが原因となりますが、肉などからの汚染によって肉以外の食品でも食中毒が起こります。

家庭での対策は、肉の中心部まで火を通すこと、肉を切った包丁・まな板などで他のものを扱わない肉を触った手はその都度洗うなどの、基本的な対策が非常に重要です。

なお一定以上の年齢の方なら、O-157と聞くと「カイワレ大根」を思い浮かべる方もいるかもしれませんが、当該事件のカイワレ大根犯人説は、その調査が不十分であったことが裁判で確定しています*2

腸管出血性大腸菌食中毒
  • 潜伏期間              3~5日間
  • 症状                     激しい嘔吐・激しい下痢・発熱
  • 重症化すると       血便・出血性腸炎・溶血性尿毒症症候群など
  • 至適温度              35~ 40℃

長くなってきたので、殺菌時間(パスチャライゼーション)については、また別の記事に書こうと思います。
どうも長くなっていけないですね。