Evidence Based Cooking – 低温調理のすすめ(調理時間編)

前回前々回と、低温調理に必要な基礎知識について延々話してきました。

食中毒の原因微生物にはどんなものがいるのか、自分の好みの焼き加減にするには何℃に設定すれば良いのかを読んでいただいたかと思います。

この記事では、お肉がそうした微生物のパーティー会場にならずに好みの焼き加減で美味しく仕上げられるかを考える、「加熱時間」について考えていきたいと思います。

説明が長くなることを先にお詫びします。
加熱殺菌となると、どうしても微生物学の知識が必要になります。

殺菌のための基礎知識

D値 Z値

いきなりで申し訳ないのですが、アルファベットとか数式が色々出てきます。
とはいえ、これを理解する必要はなく、こういうふうに決めるんだなーというのがわかってもらえれば良いと思います。

殺菌方法を考えるには下記のような数値を使います。

  • D値
    ある温度で菌数を10分の1の量まで殺菌する時間(分)
  • Z値
    菌の減少がどの程度温度に依存するかを表し、D値が10分の1となるような温度変化量(℃)。
    一般的な菌ではZ = 5~8℃、芽胞菌という熱耐性があるもので7~11℃
  • SAL
    無菌性保証水準(sterility assurance level)。
    滅菌後に1個の微生物が存在する確率。10-nで表し、医療等の国際的に決められている滅菌水準では10-6(6D reductionといいます)。
    つまりこの基準で殺菌すれば、菌の生存確率は100万分の1となる。

菌の生存確率の求め方

算出のための詳しい説明は省きますが、
ある温度でのD値がわかれば、その温度でt(分)加熱した場合の生存確率は以下の式で求めることができます。

(生存確率) = 10-t/D


例えば、D63=3(分)の菌(63℃で3分加熱すると菌量が10分の1になる)を30分加熱したとき
先程の式にそれぞれの値を代入すれば、
10-30/3 = 10-10
つまり10D reduction(生存率は100億分の1)となります。
言い換えれば、99.9999999%殺菌することができると予測できるわけですね。

D値の注意点

D値によって、ある温度でどれくらい加熱すれば、菌がどの程度減るかを予想できるようになりました。
ただしここには注意点が2点あります。

1点目は、
D値で重要なのは「中心部をその温度で加熱した時間」です。

前々回の記事で書きましたが、「弱火で10分が強火で5分じゃダメな理由」ですね。
温度勾配というものが存在し、通常食物の外側から徐々に中心に向かって熱が伝わっていきます。
中心部が目標の温度まで達する時間は、食物の大きさ・厚さ・熱の伝わりやすさ・食物の最初の温度などに左右されます。

「温度勾配」のイメージ

冷凍でカチコチの分厚いお肉を30分だけ加熱しても、中心部は「63℃で30分」加熱されていないというのは想像できるかと思います。

2点目は、
D値によって求められるものはあくまで確率ということです。
先程の計算で、菌量を100億分の1にするといっても、肉についている最初の菌が1000億個や1兆個といった菌のパーティー会場だったらどうでしょう(おえー)。

初期の菌量(一次汚染といいます)が多い場合、100億分の1にしても1億・10億個の菌を飲み込んで、今度は体の中に菌のパーティー会場を作るハメになります。
これは極端な例で、そこまで菌が増えてるようなお肉は見た目もヤバいだろうから食べる人はいないと思いますが、いくら殺菌するとは言え、食物の初期の菌量が大事で、そもそも増やさないことが必要です。

菌によるD値の違い

さて、D値についてはわかってもらえたかと思います。
しかし、菌によっても食品の組成やpHなどによってもD値は様々に変わります。 食品安全委員会などで公表されている、前回の記事での主な菌のD値および、そこから計算される6Dに要する時間を見てみましょう。
(参考文献12)

  • カンピロバクター 
    D65=0.22
    6D = 1.32分 (65℃で1.32分)
  • ウェルシュ
    栄養細胞
    D55=3.6
    6D=21.6分(55℃で21分)
    芽胞
    D90=119.8
    6D=718.8分(90度で約12時間)
  • ブドウ球菌
    D60=0.6~5.3
    6D=3.6~31.8(60℃で3.6~31.8分)
  • 腸管出血性大腸菌
    D65=0.14
    6D=0.84(65℃で0.84分)

こう見てみると公表されているD値は設定温度がバラバラですね。
そしてウェルシュ菌の芽胞の熱耐性についてもよく分かると思います。
低温調理はおろか、通常の加熱でもとてもじゃないですが芽胞を6Dの規準(90℃12時間)で死滅させることは難しいことがわかります。
ウェルシュ菌は増やさないことが大事なのが改めてわかりますね。

さて、このように調べれば、ある温度のD値はわかります。
しかし、ある温度のD値がわかっても、温度を変えたときに今度は何分加熱すればいいのかがわからなければ低温調理では使えないですよね。

そこでまた数式です。

加熱時間の計算

別の温度でのD値の求め方

ある温度Tr(℃)に対するDr値(分)が、別の温度T(℃)でのD(分)は以下の式で求められます。

D = Dr10(Tr-T)/Z

カンピロバクターの65℃における6D=1.32(分)を、60℃で加熱したときに先と同等となる加熱時間を求めてみましょう。(Z値は8とします)

D = D65×10(65-60)/8
 = 1.32×103/8
 = 3.13…

65℃で6D規準と同等の殺菌を60℃で行おうとすると、およそ4分加熱すれば良いというのが計算できます。
しかし、食中毒原因微生物ごとにこんな計算をいちいちやるわけにもいかないですよね。

そのため、ある程度安全な温度と加熱時間として、食品衛生法および厚生労働省令において、肉類は「63℃30分間または同等以上」という規準が設定されています。
ちなみにローストビーフについては、特定加熱食肉製品として、「63℃瞬時または同等以上」が求められます。

計算が好きな人は、「63℃で30分」の規準で上に挙げたような菌のD値でどのくらい減るか計算してみましょう。
ウェルシュの芽胞は論外として、それ以外の菌では、概ね6D~8D reductionの範囲に入ることがわかると思います。
つまり、見るからに初期の汚染がヤバいお肉でない限り、何も考えずに「63℃で30分」の規準で十分問題なく殺菌できるわけです。
そもそも見るからにヤバいお肉は食っちゃダメよ。

63℃で30分と同等の加熱時間

Z値を8として、温度を変えて「63℃で30分と同等」の加熱時間を計算したものをグラフにしてみました。

63℃で30分と同等の加熱時間

グラフだと分かりづらいですか?
そんなあなたのために、計算フォームも作ってみました。
温度とZ値を変更することで「63℃で30分と同等」の加熱時間を計算することができます。
Z値は通常であれば8のままで良いと思います。

注意が必要なのは、肉の中心温度がこの温度に到達してからこの加熱時間が必要だという点についてです。
肉の中心がいつこの温度に到達するのかが分からなければ、まだ時間の設定はできません。
肉を加熱したとき、肉はどのような温度変化をするのでしょうか。

肉の中心部の温度の上がり方

これを詳細に計算しようとすると、熱伝導方程式で計算しなくてはいけないので、興味のある人は検索してみてください。

ここでは肉を加熱していったときに、肉の中心がどのくらいの時間で目標温度に達するかをグラフにしてみました。

加熱時間と中心部の温度の上がり方

冷蔵庫から出したばかりの5℃の円柱形のお肉を、温度が常に一定のお湯に入れたときの中心温度を、熱伝導方程式からExcelに計算させた理論値です。
なお肉の熱拡散率は1.4×10−7(m2/s)としていますが、実際は脂肪量などにより変化します。
低温調理では通常ジップロックなどにお肉を入れて水に沈めますが、その袋は十分薄く熱伝導率に優れているものとして無視しています。

3cm以下の厚さの肉の場合であれば30分程度、5cmの肉の場合90分程度、10cmの厚切り肉の場合は、5時間程度加熱してようやく中心部が目標温度に到達することがわかると思います。
ただし、これはあくまで理論値であり、実際のお肉の温度は設定よりも0.5~1℃程度低くなる*1ことに注意が必要です。

なので、実際の調理時間は、安全係数を考慮し、理論値から1.1~1.5倍程度の時間を設定すれば良いと思います。

厚さ3cm以下の肉の場合は
30 × 1.5 = 45 [分]
5cmの場合は、
90 × 1.5 = 135 [分]
といった感じです。

この中心部が一定温度に到達する時間に、先程の加熱殺菌時間を足します
これにてようやくすべての調理時間が決定したことになります。

調理温度と時間を決めてみよう

ローストビーフは「62℃で3時間」

ネットでローストビーフのレシピを検索すると、「62℃で3時間」という言葉が飛び交っていますが、この根拠はどこにあるのでしょうか?
実際に調理温度と時間を見ていきながら、これまでの話をまとめていきたいと思います。

厚さ5cm赤身の牛肉という想定で計算してみましょう。

焼き加減を決めよう


まず焼き加減を確認しましょう。

温度別焼き加減


ネットレシピでは63℃なので、ミディアムレアよりのミディアムというくらいの温度ですね。
この辺は好みです。

肉の中心温度が上がるまでの時間を求めよう


次に、肉の中心部が一定温度に達するまでの時間を計算します。
厚さ5cmの肉の中心部が63℃になるには、先程のグラフから(または気合のある人は熱伝導方程式から)、90分程度です。

「63℃で30分と同等」の殺菌時間を計算しよう

最後に、日本での肉類の殺菌規準である「63℃で30分と同等」の加熱条件で62℃で加熱しようとするときの、必要な加熱時間を求めましょう。
先程の計算式かこちらの計算フォームを使ってください。


計算をすると、
62℃での必要な加熱時間は約40分になります。

加熱に要する時間 + 殺菌時間 = 調理時間

先程の2つの時間を足してみましょう。

90 + 40 = 120 [分]

あれ。120分ですね。
この数値は肉に付着した初期の菌量が少なく、肉は脂肪が少なく内部構造が一定であり、設定した温度は正確である場合の理論上の最低時間だと思ってください。
物理で言うところの摩擦のない床に置かれた大きさの無視できる物体」くらいの意味です。

安全のために理論値の1.1~1.5倍程度の時間を考慮すると、

120 × 1.5 = 180 [分]

なので、ネットのレシピとぴったり一致しましたね。

ネットレシピは正確か?

「なーんだネットに書かれている数値でいいんじゃないか」と思ったあなた。
確かにネットの集合知は偉大です。62℃で3時間という数値をはじめに導き出した人は、おそらく自身で計算したのだと思います。

一方で、大半の人は計算方法も知らなければ、知ろうとも思わず、ただネットに書かれているレシピを鵜呑みにしています。
もしくは、62℃で3時間の根拠を知らずにコピペ記事にしたり、根拠もない時間と温度でのどう考えてもヤバいレシピを公開したりしています。
低温調理の1本目の記事でも触れましたが、そうしたヤバいレシピで作った人や店が食中毒を起こせば、低温調理そのものが危ぶまれる事態もあり得るのです。

低温調理に限らず、きちんとした知識があれば、どんな肉が加熱が不十分であるのかわかるようになります。

そしてそれは自分自身を守る武器にもなるのです。
焼き肉で、肉を焼くトングで加熱が不十分な肉を掴んで取り分けて、次の日お腹が痛くなるなんてことはしなくてすみます。
(自分で取るから!ホント取り分けるのやめてくれ!)

自分が食中毒にならないためにも、食中毒を起こさないためにも、根拠を知るということは非常に大事なのです

まとめ

まとめです。
根拠に基づいた低温調理をしようと思ったら、おおまかにこのステップを踏む必要があります。

まず、自分の調理したい温度を決めます。

次に、肉の中心部が一定温度に達するまでの時間を計算します。

最後に、「63℃で30分と同等」の加熱条件を求めます。
(係数をかけるのを忘れずに!)

手と調理道具を清潔にしたら調理開始です。
そして調理後はなるべく早く食べるか、食べられない場合は冷やす!

実際には、コラーゲンは加熱により加水分解されるため長時間である方が柔らかくなるとか、牛肉のローストビーフやステーキを想定しているけど豚肉は?鶏肉は?とか、魚はタンパク質の変性温度からもっと低い温度じゃないと煮魚になるよね?とかとかとか、色々とこれだけでは決められない問題もあります。

そういうことが気になってきたgeekなあたなは、書籍「Cooking for Geeks」をおすすめします。Geek(オタク)のための調理本で、ネットレシピの平均的お菓子から温度・時間の根拠から低温調理から食洗機での調理(!)まで、きっと気にいると思います。


ここまで長々と書いてきましたが、低温調理の理論は簡単です(そして美味しい)。
理論を理解せずに適当にやることが問題なのです。
そして適当な低温調理は時として命に関わります。

ネットの怪しげな数字に惑わされずに、みなさんも根拠を知って充実した低温調理ライフを!

え、美味しいローストビーフのレシピ?
ネットに転がってるよ。